連載エッセイVol.8を掲載しました

金魚を飼うな、水を飼え―科学技術インタープリターへのささやかな願い―

廣野 喜幸

我が家の腕白坊主はお風呂が大嫌いだった。あまりに泣きじゃくるのでいささか心配になり相談してみたところ、専門家曰く「子どもは本来みんなきれい好きですから、心配なさらずとも大丈夫ですよ」。確かに、湯船で遊びまくり、なかなか出ようとしなくなるまでにさして時間はかからなかった。ふと、教育実習で受けた指導を思いだした。「生徒はみんな自然のことを知りたがっているのだから、その芽を育てて下さい」。子どもたちであれ、成人の一般市民であれ、人々はみんな自然のことを知りたがっている。科学者たちはみんな自分たちの研究成果を伝えたがっている。にもかかわらず、科学技術コミュニケーションは円滑にいっていない。科学リテラシーも向上していない。それは伝え方が悪いからだ。楽しみながら、自然について、定理や法則がするすると頭に入るにはどうすればよいか。その手法の開発と、うまく伝えることのできる人材の育成が必要である。――科学技術コミュニケーションをめぐる昨今の議論は、かような発想の下で、「技術論」を中心にめぐっているように感じられる。

内閣府「科学技術と社会に関する世論調査」によると、「あなたは、機会があれば、科学者や技術者の話を聞いてみたいと思うか」という質問に「聞いてみたいと思う」人は55.9% (1995年2月) → 57.0% (1998年10月) → 50.7% (2004年2月)、「聞いてみたいと思わない」者は42.7% (1995年2月) → 40.7% (1998年10月) → 47.2% (2004年2月) と推移している。ひょっとしたら、人々は自然のことなど知りたがっていないのではないか。

件の腕白坊主がお祭りで金魚を釣ってきた。あわてて飼育法を読み漁ったところ、「金魚を飼おうと思わず、水を飼うと思いなさい、水が適切ならば金魚は自ずから育つ」とあった。なるほど。科学技術インターブリターを育てるというよりは、科学技術インタープリターが自ずから育つ場を育まなければならないのだなと自戒した。もとより技術論はたいへん重要だろう。だが、不適切な前提の上に組み立てられた技術は効果を発揮できないだろう。科学技術コミュニケーションが自ずと活発になる場とは何か、そもそも科学技術コミュニケーションとは何か。こうした深みの問いに密着しつつ、果敢に実践に取り組む科学技術インタープリターが一人でも多く生まれることが私のささやかな願いである。

2007年7月25日号

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