連載エッセイVol.42を掲載しました

2011年、最初に思ったこと

渡邊 雄一郎

元日ポストをあけて年賀状の束を手に取ったとき、一番上に見えた字で正月から活をいれられた。恩師からの年賀状である。ひっくり返す前にだれかがわかる。字のインパクトである。年末に研究室の大掃除で冷蔵庫からサンプルが出てきた。その字をみてもだれのものかわからなかった。最近学生とやりとりするなかで、ワープロで打ち出したものをもとに議論することが多いことを反省した。実験ノートの字をみても個性が感じられず、筆跡による個人特定ができなかったのである。一方の年賀状はというと振り分けをする中で、これは小学校、中学、あるいは高校時代の友人と判別できた。大学以降のつきあいの人はワープロ書きの宛名がおおく、分からなくなる。ワープロの出現時期は私が博士論文を書く時期と重なった。本論文の多くは手書きだったが、要旨だけはワープロ書きと指定された。書き直しの事態がおこるとそれは大変であった。科学技術によって便利になったということであろう。写真記録も楽になった。以前はネガフィルムを用いて、自分で現像、定着。暗室でその焼き付けを行ったうえで、墨で説明をいれた原稿をつくる。もう一度写真にして、論文用のデータが完成。発表もスライドであったので、原稿をもって写真屋さんにお願いする。締め切りや練習の期日から所要時間を考えて、早めに作業しなければならない。今はデジカメでとれば、すぐにパワーポイントに貼り込めて即、発表に向かえる。どちらが良いのか、今便利になった分ゆとりができたのか、余った時間を何につかっているのかなど思い悩んでしまう。昔は一枚の写真データでもこれを示したいなどの思いをもちながら暗室作業を行い、論文の論理構成を考えながら一字一字を書いた。一枚のデータ、一枚の原稿を作る過程に苦労も反省も展望も織り込まれていた。クリック作業で全てが進む時代、ゆとりが生まれ、精神的に豊かになったと思いたい。今は経済活動を活発にする、消費を活性化するための新商品開発が民間で求められている。ただ科学技術は経営のためだけのものなのだろうか。利便性がどのような結果をもたらすかを、経済的な観点だけでなく、人間生活の豊かさに対する中長期的な影響も判断対象とする事が必要ではないかと感じる。正月に子どもがお年玉をもらった購買力?を見透かしたように、1月中旬に新製品として3D対応のゲーム機をだしてくることに苛立たしさを感じながら書き殴ってしまった。

2011年1月31日号

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