連載エッセイVol.45を掲載しました

時代遅れの教授の繰り言

石浦 章一

どうしてか知らないが公的機関からアンケートが来ることがある。ほっておくと2週間おきに催促が来る場合もある。普通は捨ててしまうが、たまに間違えてクリックすると、パスワードでログインしろという。例によって、そんなメールは見ずに捨て受信拒否リストに加えるが、最近はこのようなものが多くなった。企業や大学の事務からもパスワード付きのメールが届くことがあるが、皆、パスワードが保存されているなどと思っているのだろうか。パスワードを入れろなど、実に失礼な話だ。私はそんなものは捨てるので、採点の時も科研費申請のときも毎回、当該部署に聞いている。実に無駄なしくみである。しかし、無駄なことをしているのは私の方かもしれないと思うことがある。そう言えば、一度も使ったことのないものもまわりにいっぱいある。携帯メール、東大ポータル、図書館、捨てた職員物品購入カード。不要なもの、教員の試験監督、責任逃れのための行動規範、目安箱、無駄な会議、ヒヤリハット、個人情報。

最近気になっていることだが、博士論文審査をしていて、論文を下手な英語で書いてくる時代遅れがいるが、本当に困ったものである。30年前は、ドクターは英語で、ということが必要だったかもしれないが、私の分野では英語で投稿論文を書くのが当たり前なので、博士論文くらいは日本語で書いてほしいと思う。この間も驚いたが、ある理系の教員が「今どき、博士論文を日本語で書く者がいるのか」と言ったのには、ひっくり返った。その教員の分野では日本語で論文を書くのが普通で、英語の論文を書く人はきっと珍しく、称賛されるのだろう。でも私は、日本語も書けなくて博士を出る人がいること自体が問題ではないか、と思う。私は今年、半月で博士論文を7つ、修士論文を6つ読んだが、これはこれで結構大変な仕事である。今年はこれですんだが、最高1年で14の博士論文を審査した年がある。現実に英語の長文を読むのは大変だ。そして個人的に1枚の感想文(査読結果)をつけてあげるようにしているのだが、これも結構大変なのである。

このようなことは、もう今はないと思うが、あるとき、投稿論文を2つつなげて博士論文を書いてきた人がいた(昔は論文を2つ持っていた人が結構いたが、今の博士には少なくなった。そのため、投稿論文と博士論文がほぼイコールのようなのもいるのではないかと推測している)。私が驚いて、二重投稿になるのではないかと尋ねたら、老齢の指導教員は「面倒でしょう、新しく書くのは」と言って、そのままになったことがあった。遠い昔の話だ。投稿論文と全く違う博士論文を、また英語で書くのは大変だろうから、好意で「日本語で書いたら」と言ってあげているのに、なかなかその意図がわかってもらえない日々が続いている。

2011年4月22日号

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