連載エッセイVol.47を掲載しました

なぜだろう、なぜかしら を訪ねて三千里編

廣野 喜幸

私は小学生時代『なぜだろう、なぜかしら』シリーズを愛読していた。今から振り返ると、どうもこのシリーズ本が理系に進んだきっかけのひとつになったようだ、といったことを前回の本欄で述べた。思い出したら、実物をもう一度見てみたくなり、神保町を探し歩いた。同シリーズは、学年別に上下二冊が用意され、成長とともに12冊を順次読み進められるようになっている点に特色がある。当時よく売れたというが、店主に尋ねたところ、古書市場にはあまり出回らないそうだ。幸い、1・3・4・5年生向け上下計8冊(菅井準一ほか著、1955-6年、実業之日本社発行)を入手できた。

へえ、こんな感じだったですかねえ。40年ぶりの再会にときめいたが、記憶が甦ってこない。あれほど何回も飽きずに読んだのに。まえがき・あとがきを覗いてみると(小学生の頃はこんなところは読まない)、当時の小学生から集めた質問をもとに、質疑応答様式を採用したと記されている。なるほど。質問は天下り式でなく、ニーズに基づいていたのですね。そうした質問は、小学校の学年別の学習単元と比べると、ワンランク上のものが多かったという。

科学読み物の歴史を紐解いてみると、質問があり、それに対するそれほど長くはない解答を付し、学年別に集積してゆくスタイルは、以前とは一線を画していた。以前は基本的に以下のいずれかであった。まず、ある著者が自分の得意分野を(単発的に)書籍にしたもの。次に、さまざまな著者による書物を、「??文庫」と称し、シリーズ化したもの。最後に、一人の著者が「??文庫」シリーズ全冊を執筆したもの。最後の形式は、『昆虫記』で有名なファーブルの科学啓蒙書の翻訳が日本におけるはじまりである。

いずれにしても、一冊の著作を読み通すことが前提にされており、小学校で学んだことに関する箇所はその一部にすぎない。学校の勉強との独立性は、『なぜだろう、なぜかしら』シリーズに比べると格段に高い。要するに科学好きのための書籍であったのだ。

同シリーズは発行1年で5-10刷ほど増刷している。好評をもって迎えられたのである。全員が小学校で習うことを踏まえた上で、そこからさらにわきあがってきた疑問をとりあげる形態は、読者の側からすると、科学好きに限らず、実際疑問に思っていることにぴたりとあった答えが得られる快感がもたらされる。同シリーズは、私に限らず、その時代の科学リテラシー涵養に一定以上の寄与をしたと言えるだろう。

だが、この形式の寿命は20年ほどにすぎなかった。1977年同シリーズは全面改訂が施される。このあたりの経緯については、次回をどうぞお楽しみに。再見!

2011年6月28日号

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