連載エッセイVol.79を掲載しました

譲り合いの精神と科学技術コミュニケーション

渡邊 雄一郎

キャンパスで教室に向かう際によく学生と出入り口で鉢合わせする。駒場ではそのときに学生の方が先に通ろうとすることが多い気がする。自分たちの時代には相手がシニアであれば一歩ひく、あるいは遠慮したものである。こうした学生が専門課程、さらには大学院生とすすみ、社会にでると変わるのであろうが、周囲の状況をみて行動してほしいものである。駒場の学生が当面の目標にむかって突き進む姿は羨ましくもあるが、もう少し周りを見回すゆとりを持ってほしいとおもう。授業の選択にしても、進学振り分けの際に有利に働くような授業をとる傾向が強いことは否めない。せっかく教員スタッフが教育効果等を考えて、いろいろな魅力的なプログラムを提供しても、かれらの行動を引きだすまでにはいたらない。多面的な視点を持ってほしいのだが。大学院の修了発表会においても自分の研究室メンバーの発表のみ聞いて、他は聞かないという傾向も強まっている。もうすこし周辺領域にも目を向けようよ。

科学技術コミュニケーションを考えていても同じ目線で考えてしまう。大学院まで進学、研究者として進む人が、時に科学全体のなかでの自分の位置づけ、社会との関わりを考えながら研究をつづけることは重要であろう。社会からは当然なされていると思われているだろうが、実際はどうか。既得権、前例が有る無しが相変わらず横行していないだろうか。研究のなかで激しい競争などが、そういった人間性に立脚した部分を忘れさせるのだろうか。3.11は科学をめざす者、コミュニケーションをはかる者たちには自省を促すきっかけとなっているはずである。昨今グローバル化という言葉が多方面で聞かれるが、これは国際的に外国語を操ることができることのみではなく、お互いの文化を理解し、尊重し合い、新しい価値観を生み出すことだと思っている。言葉の障壁のみではなく、専門分野をこえて価値観をだしあい、共有できる接点を生み出し、さらに社会と交流するという科学技術コミュニケーションの目標も,広くグローバル化という概念に含めて考えてほしいと思う。現場に行って、大学の先生は使えないことをやっているといわれるような悲しい思いはしたくないものである。

2014年2月24日号

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