連載エッセイVol.103を掲載しました

余白と想像力

渡邊雄一郎

この時期、さまざまな手書きの提出物をよむ。スペースは十分なのに、左上に小さく字を並べて書かれて広大な白い空間が残されているものが出てくる。PCのディスプレイ上のワープロにむかって、字を入力している感覚なのであろうか。手書きもワープロも同じ感覚でできることへの羨望もあると同時に、白い空間に対する思いの違いもあるのかと思う。手書きで育った人間から見ると、どうもおびえているようでもあり、全く周囲を気にしない感覚にもみえる。黒字以外の部分は真空と同じ何もない空間に感じるかもしれない。

書道展などをみていると、字が生きていることを感じる。たとえば気持ちが入っているなどと表現する。そのときに筆運びにも目がいくが、同時に余白の使い方にも感じ入ることが多い。黒と白のコントラスト、全体のバランス、局所的なかすれなど、白を活かしながら黒を使っている。ここは黒、ここはゆずれないといった拮抗する緊迫感,そこから書いた人の人間性まで伝わってくる。ここは黒であって白ではいけないといった雰囲気が醸し出されている。字を書く際に、直感的に黒と白の対峙、全体の中での今のストロークの局面を直感しているようで非常にうらやましい。

ここで美の世界から現実的なことを連想してしまった。人がある行動をしようとした場合、それをやった場合と、やらなかった場合とのバランスを素早く判断する能力が非常に重要であることを昨今感じる。飛行機に乗ると安定飛行になっても、シートベルトの着用を継続してほしいというアナウンスがあるが、多くの人は苦しい、格好が悪いなどと感じるのか外している人が多い。バスにのってシートベルト着用をアナウンスされても、着用しないことに慣れている人は多い。乗用車の場合には着用率は高いが、公共交通ではあまり達成されていない。その辺が今回の深夜におけるバス転落事故を大きくしたのかもしれない。黒と白の選択肢があった場合、白は何もない“透明”なのではなく、今後いかなる局面がどの程度のリスクをもって起こりうるかを想像する能力が必要であろう。でも“透明”を白にするには、失敗、手痛い経験、事故などを人ごととせずに教訓にすることは必要であろう。間接体験を活かせるのはヒトである。

2016年2月23日号

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