連載エッセイVol.111を掲載しました

科学情報とメディア

鳥居寛之

科学コミュニケーションにおいて、メディアの影響力は大きい。特にテレビや新聞といったマスメディアは世論を形成するのに大きな力をもつ。

原発事故後の混乱で、政府も科学者集団もすっかり国民の信頼を失ってしまった。同じ情報を聞いても、それを誰から聞くかで、受け手の認識は大きく変わる。政府寄りの発言者には御用学者のレッテルが貼られてしまったが、正しい科学的知識であっても、不信を抱く相手の言うことは信用してもらえない。人の感情とは無縁のはずの科学的事実も、それを伝える場面では、人と人との信頼関係に左右されるのである。

大手メディアは権力の監視を標榜するあまり、主流な科学者とは異なる見解を多く取り上げることがある。いわゆる両論併記という手法は、論戦が拮抗している場合には有益かもしれないが、大半の科学者の見解が合意に達している場合には、むしろ少数派の、あるいは異端の意見をことさらに強調する結果に繋がりかねない。また、メディアとて民間企業である。商売であるからには、売れる必要がある。例えば、安全だという言説は売れないから、必然的に危険を煽る書籍ばかりが発刊されてしまう。科学を正しく伝えるには、丁寧な説明が求められるが、小難しい解説は売れないし、事実を淡々と述べて価値判断は読者に委ねるといった姿勢は取られない。万人に分かりやすく単純化された記事は、得てして科学的に不正確なものになってしまう。このように、世間に示される情報は科学者の認識通りではなく、伝達者の意図によるフィルターがかかっているのである。

さて、最近の調査で、情報源としてのテレビや新聞の地位が低下し、ネットやソーシャルメディアが、特に若い人に浸透している様が明らかになった。ブログや twitter で誰もが情報の発信者になれる時代。しかしネットに蓄積される膨大な情報は玉石混淆であり、不確かな情報の宝庫とも言える。信頼性の低さはネット利用者なら皆薄々感じているはずだが、気をつけないといけないのは、人は見たい情報を選んで見ているという点。知をネット検索に求めることで、自分が打ち込んだ検索ワードに合致するページだけが表示されるわけだから、表示された情報は然るべくして自分の価値判断を映す鏡になっている。それをネットで確認することで、自分の考えの「正しさ」を信じる補強材料にしてしまうなら、なんとも怖いことである。

2016年10月25号

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