連載エッセイVol.123を掲載しました

伝える言葉のネットワーク

鳥居寛之

ビッグデータ時代と言われ、世の中には情報が溢れている。ネット上だけでも膨大な量のデータが氾濫し、我々はそれを消化しきれずにいる。情報化社会におけるリテラシーとは、情報を取得できるか、知っているか、ではなく、いかに必要な情報を峻別し、無駄な、あるいは間違った情報を捨てることができるか、その判断能力が鍵と言えるだろう。

世界の大国が自国第一主義を掲げ、真実が軽んじられる Post-truth と呼ばれる時代にあって、情報が伝える中身は事実である保証がないばかりか、事実無根のフェイクニュースやお化けの捏造記事、コピペの横行する剽窃文書が我が物顔に世界を駆け巡っている。

デマ拡散のメカニズムは昔から何も変わっていない。ただ、伝達スピードの格段の速さと、拡散範囲の世界的分断化が、致命的なパラダイムシフトに加担していよう。

人は信じたい情報を信じる。見たくない情報は見ない。円周率が無理数だと科学者がどれだけ声高に主張したところで、π=3 だと思い込んでいる人の耳には届かない。π=3.14… だという主張は御用学者の陰謀であるという説が、まことしやかに囁かれ、それを信じるネットグループの間では、それこそが真実となる。

科学者の間ですら、言葉は時として伝わらない。同じ事象に対して、物理学者は可能性がゼロでないと言い、生物学者は他の要因より相対的にリスクが低いと言う。医者は人を安心させるのが仕事なので、全く問題ない、と言ってのける。これらの科学者が互いに会話する稀少な機会をもったとき、相手の考え方だけでなく、言葉そのものが通じないということも多い。

人工知能が急激な進化を遂げ、ニューラルネットワークによるディープラーニングが将棋も囲碁も人智を凌駕してしまった現在、既成の文法知識を一切与えない自動翻訳システムが、一般人の外国語翻訳レベルを超える自然な言語を話し始めた。歓迎すべき飛躍的進歩を、あるいは人間を脅かす脅威と捉えるべきか。

人類が自ら、分断した複数のバベルの塔を建ててしまわないために、異分野、また異文化の人たちとの普段からの交流が欠かせない。蛸壺に自らを閉じ込めてしまわないために、科学者は普段らら視野を広くもち、伝える言葉を研ぎ澄ます心がけが肝要である。

2017年10月25日号

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