連載エッセイVol.113を掲載しました

「朗報」- S君へ

 廣野喜幸

初めて会ったのは四半世紀ほど前、君が20歳くらい、僕が30歳くらいのころだったよね。予備校で医学系小論文を担当していた僕のところへ、よく質問をしにきたのだった。すでに2浪だった君とは2年ほどつきあったっけ。

数年ほど経ち思い出すこともなくなってきたころ、君から電話があったと家内から聞いた。「卒業して医者になれたのかな」とぬか喜びしたが、そうではなかった。3浪しても受からなかった君は家業に携ったが、あきらめきれずに再挑戦をはじめたものの、うまくいっていないという。受験指導のベテランの友人たちを紹介し、君は新潟大学医学部合格を勝ち得、36歳でみごと精神科医になった。

君も忙しくなり、思い出すこともまた次第に少なくなっていた今年の春、そう桜のころ、電話をくれたのだったね。明るい声だったと家内が言うので、「嫁さんでも決まったのかな」と喜んでいたら、そうではなかった。職場の健診で要精密検査になり、膵臓癌が発見され、余命1年と宣告されたという。「先生、びっくりしましたか。」と明るい声で君は僕に尋ねた。

君から連絡があると朗報だろうと早とちりしてしまうのが僕の常だった。マクルーハンという思想家は、「メディアはメッセージ」だと言った。この頃、僕は「コミュニケーションはメッセージ」なのではないかと考えている。あるコミュニケーションの場に人が置かれると、場が人々にメッセージを発し、これからどういうコミュニケーションがなされるかを予期させ、ある方向へと誘導する。

君が闘病しているあいだ、僕は医薬品のリスク・コミュニケーションの調査をしていた。医薬品について、たとえば薬剤師さんとコミュニケーションをとると、たいていは同じ答えが返ってくる。あたかも、医薬品のリスク・コミュニケーションの場では、しかじかのコミュニケーションがなされるべきというメッセージ=指令が発せられているかのように。

おそらく、僕はいつも君から朗報が届くことを無意識に期待していた。それが君と僕のコミュニケーション場の予期構造になっていたのだろう。

3日前に見舞ったとき、君は最後に両手を2度振って、さよならをしてくれたね。今朝、君のお母さんから、昨日亡くなったという電話をもらった。あれが最後のさよならになってしまったんだね。もう君から電話がかかってくることもない。僕が勘違いすることも。「結婚しました。」「子どもができました。」君からはもっともっともっと朗報を聞きたかったよ。これまでどうもありがとう。じゃあ、さようなら。

2016年12月19日号

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