連載エッセイVol.117を掲載しました

ロボットと消しゴム付き鉛筆

佐倉統

物心ついたときに鉄腕アトムや鉄人28号が活躍していた世代だから、ロボットやAIには格段の興味を持っている。とはいえ工学的なことは専門外なので、もっぱら、社会的・文化的状況に目がいく。その点で不思議なのは、なぜロボットやAIが人間の脅威として語られることが多いのかである。計算が早かったり囲碁や将棋が強かったりするぐらいで、人間の他の能力が凌駕されるわけでもあるまいに。

そもそも、関数電卓や、スマホの囲碁・将棋アプリには誰も脅威など感じない。「脅威の閾値」がどこかにあるのだろう。アンドロイドが実際の人間に似てくると、あるところからは親密さよりも脅威や恐れを感じることが知られている。いわゆる「不気味の谷」である。外見だけでなく能力や機能についても、不気味の谷に似た現象があるのだろう。

似ている度合いの量的な側面だけでなく、どのような性質で人間を凌駕しているかも大事だ。自動車が人より早く走り、飛行機が空を飛んだからといって、これらの機械が人間を凌駕したとは誰も思うまい。しかし、ホテルの受付でロボットが言葉をしゃべったり、囲碁や将棋でAIが勝ったりすると、途端に機械が人間を凌駕したと騒ぎ出す。

このような、機械や人工物に対して脅威を感じるポイントは、いつでもどこでも同じなのだろうか? それとも、時代や文化により違いがあるのだろうか? おそらく、ヒトとしての生物学的特性にもとづく普遍性がありつつ、文化的な違いがかなり大きいのではないかと睨んでいる。

人間誰しも、新しい人工物には忌避感を抱きがちだ。かつて消しゴム付き鉛筆が発明されたとき、イギリスの小学校では禁止令が出された(H. ペトロスキー『鉛筆と人間』晶文社)。今からしたら、なに考えてんだ?という感じだが、見慣れないものについての人間の反応とは、そういうものなのだろう。しかし消しゴム付き鉛筆も、時と共に普通のありふれた道具になっていった。

ロボットが消しゴム付き鉛筆のように社会に「なじむ」時代はいつごろ来るのだろうか? 意外と、近かったりするのかもしれない。

2017年4月24日号

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