連載エッセイVol.136を掲載しました

みんなの専門知

内田麻理香

オランダのアムステルダム国立美術館には、レンブラントの『夜警』が所蔵されている。先日、その『夜警』を修復する過程を公開するというニュースがあった。しかも、全世界に向けてライブ配信もするという。美術館の顔とも言える名画であるが、その修復過程も展示物にするとは興味深い。

アムステルダム国立美術館は、改修の際に10年も閉館を余儀なくされた経緯がある。その騒動が、『みんなのアムステルダム国立美術館』として映画化された。『夜警』の修復の公開といい、このトラブルの映画化といい。前向きというか、逆転の発想というか、様々な意味で「たくましい」美術館である。

この美術館の改修が長引いたのは、オランダ人のアイデンティティである自転車のためだ。美術館の中央には自転車で通れる道があるが、改修後はその道が狭くなることを知った市民たちが反対の声を上げた。それを知った美術館側は、市民との話し合いの場を設ける。アムステルダム市民は議論好きというが、それは本当らしい。館長だろうが市民だろうが、納得しない限り黙らない。そして、皆がようやく折り合いのつく設計に至るまで、10年も費やすことになった。

映画で専門家と専門家でない人々が議論し続ける様を見て、これは見事な「美術コミュニケーション」だと感心してしまった。館長は市民に対して「民主主義の悪用」と不平を言い、市民は「自転車で美術館を通るのは、この街の文化」と主張する。疲労困憊した関係者たちは、たまったものではなかっただろう。しかし、美術館の学芸員、建築家、政治家、市民みんなが話し合ってできあがった美術館は、まさに映画のタイトル通り「みんなのアムステルダム国立美術館」になった。

この場合は、専門家と非専門家間のオープンな議論を通じて、結果的にみんなが誇る美術館の完成に至った。しかし、他の専門知の場合はどうであろうか。例えば、自分の専門で「みんなの○○」に置きかえると、そもそも「みんなの○○」とは何を指すか? それを目指すべきなのか? 目指そうとする場合、誰が、どの程度かかわるべきなのか? 考慮すべき課題は多い。容易には答えが出ない問題だが、このように専門家だけで閉じない専門知のあり方を探り続けるのが、科学技術インタープリターの役割だと考える。

2018年11月26日号

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