連載エッセイVol.139を掲載しました

平成の終わりに – 美智子さまに学ぶ

横山広美

若手研究者とお話をしたいと、天皇皇后陛下が当時勤めていた葉山御用邸近くの大学に内々に訪れられたのはもう15年も前のことである。緊張する10名ほどの若手研究者が待つ中、にこやかにお越しになった両陛下は、大学の中の日当たりのよい小さな食堂で、職員の方々が心を込め作った定食をきれいに召し上がりながら、私たちの話を熱心に聞いてくださった。

学長の指名で、美智子さまの隣に着席をした際には、ふわっとかぐわしい香りがした。緊張のしっぱなしであったが、美智子さまはとてもやさしくそして熱心に、次々と質問をされていった。熱心な質問は話者を勇気づける。思えば天皇陛下は科学者であられ、大変に忙 しい公務の中、ハゼ類について多くの論文を書かれている。きっと日常の中でも美智子さまは科学者天皇の研究のよい聞き手でもおられるのだろうと拝察した。

SNS時代、科学技術に関する話題も常にSNSをにぎわせている。ワクチンや震災後の被ばくに関することはその代表例と言えるであろう。対立する意見の中で足りないのは、対話の基本である、聞く力ではないだろうか。アラブの春がおこる前、インターネットを 用いた議論は、広く民主的な議論が促されるのではと期待を持たれていた。しかし次第に、同じ意見を持つ似た者同士が固まり、情報空間としても好みの情報空間「フィルターバブル」に包まれるようになる。

新聞社などが行う「世論」調査を皆さんは「よろん」というか「せろん」と読むか。どちらも正しいが、戦前においてその漢字も意味も同一のものではなかった。輿論(よろん)は文字メディアを通じていわゆるオピニオンを述べるもの、世論(せろん)は映像メディアで伝えられる空気感であった。SNSではフィルターバブル現象に加えて輿論と世論が入り交り、世論を加速する映像情報もぐっと増えた。両者が融合することもあれば、引き裂かれていくことも多い。

熟議と呼ばれるミニパブリックスへの期待もその手間の大きさから限定的だ。専門家集団としては輿論を発することに熱心である。しかしそれだけでは状況は改善しない。単純な解はないであろうが、複雑な状況に耐えながら対話の基本である聞く力を鍛えることに 救いがあるのではと平成の終わりに思う次第である。

2019年2月22日号

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