連載エッセイVol.141を掲載しました

あらためて、専門家と社会のギャップを考える

佐倉統

2年前から理化学研究所の革新知能統合研究センター(略称AIP)を兼務している。人工知能(AI)と社会や倫理の関係を研究するグループの一員である。

AIには昔から興味があって、1990年代は人工生命界隈の周辺もうろうろしていた。人工知能学会誌にも論文を2003年に書いている。とはいえその頃はここまでAI研究者と身近に長時間付き合う機会はなかったので、いろいろ新鮮である。

興味深いのは、理研AIPや人工知能学会などのAI研究者の多くが、「AIの専門家」を自称していないらしいということだ。確認できた範囲だと、「専門は機械学習です」とか「画像処理やっています」とか「自然言語処理です」などと言う人がほとんどだ。

そこで、なぜ「人工知能研究者」を名乗らないのかをもう少し聞くと、どうも、社会的にブームになっていることへの違和感を持っている専門家が多い。このあたりはちゃんとした調査をしたいと思っているが、「技術的にはここまでしかできないのに社会的にはとんでもないことを期待されている」のがAIブーム、という認識があるようだ。

先端的な技術や研究について、専門家と社会一般とで認識がずれるのは珍しいことではない。というか、常にそのような状況は繰り返されてきたわけで、だからこそ科学技術インタープリターが必要とされているのだが、AI周辺でも事態は同じようだ。

もちろん、このようなギャップは少ない方が社会的な混乱も起こらないのではあるが、しかし、ものは考えようだ。ダーウィンの自然選択説は、それまでは誤差(ノイズ)とみなされていた同種内の個体差(変異)が進化の原動力だと見抜いたところに革命的な意義がある。同じように、専門家と社会のギャップも、新しい科学技術が社会の要求や希望をとらえて発展していく契機になるのではなかろうか。少なくとも、専門家と社会の間にギャップがあることで、双方お互いに批判し合うのは生産的ではない。

いや、そのためにこそ科学技術インタープリターが必要なんでしょう! という話になると、また振り出しに戻ってしまうのだけど。

2019年4月22日号

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