「森と水と人間の関係—専門家が地域でコミュニケーション活動すること」蔵治光一郎先生:講義レポート

2022年7月6日

プログラムの必修授業「現代科学技術概論Ⅰ」は、さまざまな立場から第一線で科学技術コミュニケーション活動に携わってる先生方をお呼びして講義をしていただく、オムニバス授業となっています。

第1回の講義は、農学生命科学研究科 附属演習林の蔵治光一郎先生に、森林・林業分野の科学技術と社会について講義をいただきました。蔵治先生は、東京大学農学部卒業、農学系研究科修士課程を修了後、マレイシア国に青年海外協力隊員として派遣後に博士号を取得されました。「森と水の作用及び人間社会との関係」について研究と科学技術コミュニケーションの実践活動を経て、現在は森林管理と木材生産、水・森林災害の未然防止などについて、社会貢献を目指して、文理融合的な研究を推進されています。

社会通念と専門知のギャップ

【社会通念と専門知のギャップ】

社会通念 専門知
世界中の森林は破壊され、減少している。 世界の年間森林面積減少率は0.1%のみ、むしろ増加に転じる可能性もある。
森林伐採は悪で、植林は良し。 日本の森林は実は伐られなさすぎて問題になっている。
森林の過度伐採が水害の原因。 森林を伐らずに放置することも水害を拡大させる。
間伐推進のため、マイ箸より間伐材の割り箸の使用で消費すべき。 加工過程で間伐材と皆伐材の扱いに区別はなし。
木材の自給率が低く、国産材の利用を増やし、自給率を上げるべき。 自給率は増加しているが、地域間の過度伐採と過小伐採の格差が著しく拡大。森林所有者への配分は製材品価格の僅か3%。

蔵治先生は、一般人のみならず行政や政治関連の人でさえ、上記のような専門知とは異なる社会通念を強く信じていることに気づきました。専門家から専門知を押し付けるような形では有効なコミュニケーションにならず、相手からみても魅力的なコミュニケーションにはなりません。「森と水」の周りにいる木材生産者、下流の漁業者、河川の沿岸に住んでいる人など、さまざまなステークホルダーが存在し、それぞれの立場が違うため、ステークホルダーによって考えていること、信じたいことが異なります。

研究と実践活動

先生は、社会通念を強く信じ疑わない市民・行政・政治家の存在、そして専門家の話を聞いてもらえないという問題意識から、ステークホルダーとの対等・平等かつ相互信頼的な関係を構築する必要を感じてらっしゃいました。活動のきっかけは、2000年9月の東海豪雨です。その洪水災害を受けて、蔵治先生は「矢作川森の健康診断」活動と「矢作川流域圏懇談会」という実践を始めました。

矢作川森の健康診断では2005から2014年にかけて、森林ボランティアと市民の手で、矢作川流域の人工林の健康状態の調査を行いました。この調査は市民を巻き込んでの測定・データ収集で、社会通念と実態のギャップを体感してもらいました。参加者が楽しく作業できる工夫を心がけた結果、参加者とステークホルダーの関心を引くことに成功しました。

矢作川流域圏懇談会は、官産学のみならず、市民も参加している地域部会や市民会議と連携して構築した、学びと意見交換の場です。これは、ステークホルダー間のコミュニケーションをはかろうとする取り組みです。

質疑応答

Q1:「楽しくかつ学びがなければならない」というモットーについて、具体的にどのような工夫をなされましたか?
A1:何をもって楽しく感じるかは人それぞれだが、基本的には「知的好奇心を満たす」「目から鱗のような体験」「予想と異なる結果が出た時の驚き」などの提供を心がけてきました。

Q2:「流れに任せ、お膳立てはしない」「議論をコントロールしない」という方針とのことでしたが、ある程度ゴール設定はされましたか?
A2:ゴール設定はしたことなく、まずは出発点の共有を前提とし、次は出発点の中でいくつかの課題を箇条書きで挙げ、解決手法の例を提示した上で、論点を絞り議論するという手法をとっています。それぞれの論点に、担当のファシリテーターをつけます。最終のゴールについては、それほど明確に定めることはせず、これによって参加者の自発的な考えが促進されます。

Q3:矢作川森の健康診断の活動に延べ2,000人以上の参加があったとのことですが、最初から毎年200人集まっていたのか、それとも地元のインフルエンサーのような方がいて広まったのでしょうか?
A3:初回は、200人弱の参加でしたが、2回目、3回目は最も人数が多く、300人に上りました。その主な原因は参加者の口コミでした。10年間集計してきたアンケートを見ても、参加のきっかけは口コミであることが圧倒的に多かったです。

Q4:この10年間地域の方との関わって来られた経験の中で、どういうところが最も大変でしたか?
A4:あまり大変だった記憶がなく、基本は楽しく、深刻な問題もなかったです。測定をするために天気は重要でしたが、幸い10年間大雨はありませんでした。運が良かったと言えます。

Q5:懇談会について、最初の3年間は「つまらない」とう参加者の感想もあったそうですが、具体的に参加者間の利害が対立してしまう場面はありましたか?
A5:利害が対立することが常にありうる集まりでした。実際、最初の厳しい状況を乗り越え、順調になった後こそ、利害の対立がしょっちゅう出るようになってきました。参加者皆が利害の対立がわかること自体も、かなり成熟した段階です。その前の段階では、そもそもお互い何についての発言であるかを理解できず、コミュニケーションすら成立しませんでした。「つまらない」という声が出たのは、「お膳立てをしすぎた」というのが原因でしょう。出発点を共有し、議論を重ねてきて初めて利害の対立が表面化しますが、そこでは決して喧嘩にはなりません。お互いの立場を理解した上での利害の対立なので、対等・平等そして理解のある状態で議論が進むのです。

講義を通じて

研究だけでなくそれと同等の熱意を持って、地域に10年以上かかわってきた研究者の講義を聞くことができ、学びだけでなく感動もしました。社会貢献のために、科学技術コミュニケーション活動を試行錯誤してきた姿も素晴らしく思います。専門家でも研究者でも、つい自分の持っている専門知について語り出してしまいますが、「専門家の話を聞きにきたわけではない」という参加者にも、ご自身の専門知を封じて「現場に行きましょうよ」と誘い続ける努力があったからこそ、のちの相互理解と市民参加の拡大、そして活動の成功に繋がったと思います。

趙 誼(総合文化研究科・地域文化研究専攻 博士2年/17期生)