「廣野喜幸」タグの一覧
連載エッセイVol.137を掲載しました

『なぜだろう、なぜかしら』悪循環編廣野喜幸
カルチャーセンターの講師をつとめたことがある。これには参った。大学の授業は、学生さんの反応をみて改善を重ねていくものの、講義の骨格はすでにできている。おおむね同様な内容を違う相手に話せばよい。 ...
連載エッセイVol.125を掲載しました

『なぜだろうなぜかしら』 不在編廣野喜幸
記憶はあてにならない。エリザベス・ロス教授によると、実際あったことの3割は忘れ去られ、なかったことも3割の人が思い出してしまう!
10年ほど前のこと。中学時代の友人Mと同期会について ...
連載エッセイVol.113を掲載しました

「朗報」- S君へ 廣野喜幸
初めて会ったのは四半世紀ほど前、君が20歳くらい、僕が30歳くらいのころだったよね。予備校で医学系小論文を担当していた僕のところへ、よく質問をしにきたのだった。すでに2浪だった君とは2年ほどつきあったっけ。 ...
連載エッセイVol.101を掲載しました

『なぜだろうなぜかしら』 二つの文化編廣野喜幸
理科離れは中学以降進行する。小学生には理科好きがまだ多い。そこに、小学生を対象にした理科の副読本がマーケットとして成立する余地がある。私が知るかぎりでも9社から11シリーズが刊行されており ...
連載エッセイVol.89を掲載しました

なぜだろう、なぜかしら 新シリーズの変貌 編廣野喜幸
私が自然科学好きになったきっかけのひとつは、小学生時代の理科の副読本『理科の学校なぜだろう、なぜかしら』(実業之日本社、1955-6年)シリーズであった。教科書だけでは解消されない疑 ...
連載エッセイVol.71を掲載しました

なぜだろう、なぜかしら ダイ・ハード編廣野喜幸
小学理科の読本『なぜだろう、なぜかしら』シリーズについて、これまで3回(3年!)にわたり触れてきた。1955-6年に出版された同シリーズは、小学生から集めた質問に答える「ニーズ先行+広く浅 ...
連載エッセイVol.59を掲載しました

なぜだろう、なぜかしら リニューアル編廣野喜幸
すぐれた副読本は科学リテラシーの向上にたいそう貢献する(はずだ)。かつて、そうした副読本の一つに、『なぜだろうなぜかしら』シリーズがあった。同シリーズは、小学1年生上→小学1年生下→小学2 ...