「廣野喜幸」タグの一覧
連載エッセイVol.160を掲載しました

パンデミックの科学コミュニケーション廣野喜幸
科学コミュニケーションは、パンデミック対策にどのような貢献ができるのだろうか。
20世紀以降、世界で100万人を越す人々が亡くなったパンデミックが何回あったか、ご存じだろうか。ス ...
廣野喜幸先生の寄稿文です

本プログラムの部門長である、廣野喜幸先生の寄稿文を掲載します。『2019年度 科学技術インタープリター養成プログラム 修了論文集』「はじめに」の転載となります(2020年3月10日)。
廣野喜幸2019年度も履修生6名が無 ...
連載エッセイVol.149を掲載しました

『なぜだろう、なぜかしら』中学生は中学生編廣野喜幸
中学1年生の息子の運動会に行ったとき、中学3年生がやけに大きく見えた。息子が中学3年生になったとき、中学1年生がやけに小さく見えた。10代の成長は著しい。きっと内面も大きく成長している ...
連載エッセイVol.137を掲載しました

『なぜだろう、なぜかしら』悪循環編廣野喜幸
カルチャーセンターの講師をつとめたことがある。これには参った。大学の授業は、学生さんの反応をみて改善を重ねていくものの、講義の骨格はすでにできている。おおむね同様な内容を違う相手に話せばよい。 ...
連載エッセイVol.125を掲載しました

『なぜだろうなぜかしら』 不在編廣野喜幸
記憶はあてにならない。エリザベス・ロス教授によると、実際あったことの3割は忘れ去られ、なかったことも3割の人が思い出してしまう!
10年ほど前のこと。中学時代の友人Mと同期会について ...
連載エッセイVol.113を掲載しました

「朗報」- S君へ 廣野喜幸
初めて会ったのは四半世紀ほど前、君が20歳くらい、僕が30歳くらいのころだったよね。予備校で医学系小論文を担当していた僕のところへ、よく質問をしにきたのだった。すでに2浪だった君とは2年ほどつきあったっけ。 ...
連載エッセイVol.101を掲載しました

『なぜだろうなぜかしら』 二つの文化編廣野喜幸
理科離れは中学以降進行する。小学生には理科好きがまだ多い。そこに、小学生を対象にした理科の副読本がマーケットとして成立する余地がある。私が知るかぎりでも9社から11シリーズが刊行されており ...