「藤垣裕子」タグの一覧

連載エッセイVol.122を掲載しました

連載エッセイ藤垣裕子

責任ある研究とイノベーション藤垣裕子

欧州では現在、2020年にむけた科学技術政策(Horizon2020)のなかでRRI(Responsible Research and Innovation)という概念が鍵となっている。責任ある研究 ...

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連載エッセイVol.110を掲載しました

連載エッセイ藤垣裕子

サイエンスとヒューマニテイ藤垣裕子

人間を対象とした研究を、ジョルジュ・バタイユは「体験の方へできるだけ発展しないようにしている研究」と「体験のほうに決然とすすもうとしている研究」に分けている。そして、データに基づく研究に対し、「学者の ...

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連載エッセイVol.98を掲載しました

連載エッセイ藤垣裕子

人文・社会科学インタープリター藤垣裕子

「科学技術インタープリターがあるのなら、人文・社会科学インタープリターがあって然るべきだ」というのが前研究科長(現教育担当理事)の口癖であった。6月8日の文部科学大臣による「人文社会科学や教員養成 ...

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連載エッセイVol.87を掲載しました

連載エッセイ藤垣裕子

ひとを世に出すということ藤垣裕子

ひとを世に出すときには、そのひとの生産物をインタープリテーションしなくてはならない。小樽文学館でこの夏に開かれた『没後60年:中条ふみ子と中井英夫展』では、昭和29年4月に短歌研究社の第1回五十首詠に入 ...

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連載エッセイVol.75を掲載しました

連載エッセイ藤垣裕子

セクハラとエロティシズムの境界について藤垣裕子

今回は芸術作品のインタープリテーションから。

「プロセルピナの強奪」(Ratto de Proserpina)イタリア語ではそう書いてあった。高さ3メートル近く。公衆の面前に、 ...

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連載エッセイVol.63を掲載しました

連載エッセイ藤垣裕子

文学における理解と自然科学における理解藤垣裕子

先回(バイブルVol.51、2011年10月25日号)の記述を受けて、文学書における理解と自然科学における理解の差異と同型性について考察することが本稿の目的である。文学における理解の1つの ...

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連載エッセイVol.51を掲載しました

連載エッセイ藤垣裕子

わかることと不可解であること藤垣裕子

科学技術をわかりやすく伝えることは、インタープリタープログラムにとって大事な課題の1つである。ではそもそも「わかる」とはどういうことか。「わかる」という日本語には多義性があることはVol.5(200 ...

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